むかし、「とうもろこし」をうまく言えずに
「とうろもこし」と連呼していた小さな子供を見かけた。
まわらない口で一生懸命言うから、またカワイイ。
こういう言葉の言い間違えってのは
さらりと言ってしまうと
聞き流して、意外に判らなかったりする。
何度か聞いて「ん?何だか変だぞ?」と
気がついたりする。
今夏、爽やかなスポーツマンシップで
甲子園から、日本国中を沸かせた
駒大苫小牧高校野球部も然り。
「駒大苫小牧」
「こまだいとまこまい」
「とまだいこまこまい」
妙に響きが面白くて、夏中「とまだいこまこまい」と叫んでいた。
なので「こまだい」だか「とまだい」だか
もうなんだか判らなくなり、しまいにはどうでも良くなった。
先だって、プロ野球の「アジアシリーズ」をテレビで観戦していた。
台湾プロ野球「ラニュー」vs「日ハム」の試合だ。
日本のプロ野球選手の名前も
お気に入り球団を除いたら
そんなに知っているほうではないので
台湾の選手の名前などなおさら知りはしない。
そんな時、ぼんやりテレビを見ていた私の耳に
突如、「ちんきんぽう!」が飛び込んできた!
聞きなれない、しかも衝撃的な名前に
一瞬私の耳が凍りついた。
「ちんきんぽう」は、台湾チーム「ラニュー」の4番、「陳金峰」のことである。
いやぁ、、、まったく びっくりしちまった。
「ちん」に「きん」に「ぽう」だ。
3拍子そろってる。
気のせいか、やけにアナウンサーは
彼の名前をフルネームで呼ぶ。
面白がってるみたいだ。
私も調子に乗って「ちんきんぽう」「ちんきんぽう」「ちんきんぽう」と
連呼してやった。
何度も言っていると
たまにまちがえそうになる。
ちょっとドキドキだ。
え?なにがって・・・。
夕食の時、息子が呟いた。
「今朝、電車に乗っていたら、祐天寺の駅から
子連れ狼みたいな女の人が乗ってきた」
「子連れ狼って?拝一刀(オガミイットウ)のこと?」
「そう」
「ベビーカー?」
「違う 顔が“拝一刀”」
「・・・・。」
「また乗ってこないかな?」
「もしかして…それは恋?」
「そうかも」
息子よ
冥府魔道の道は、いばらの道だ
心して行け。
トレードマークの黒ぶちメガネとマッシュルームカット
そして、片手にマイクとくれば、誰もが我らが凡ちゃんこと
大木凡人氏を思いだすだろう。
かつて一世を風靡した知る人ぞ知る,
昼飯前の憩いの番組
「街角テレビ11:00」の名司会者である。
名司会者とはいっても、気取りが無く、
ぱっと見、お笑い芸人風な風貌。
見ている人たちを心和ませ、
特に面白いことを言うわけでもないのに
思わず笑いを誘うような雰囲気を醸し出す、
お茶の間の人気者。
ヤクルトの古田敦也監督とは
いとこ同士というのは周知の事実。
メガネとマッシュルームカット、ちょっと小太りなイメージが
気弱でいじめられっこ的な印象を与えるが
侮る無かれ。
凡ちゃんを甘く見てはいけない。
なんと凡ちゃんは身の丈180cm
しかも「琉球空手」の達人なのだ。
酒場で絡んできたヤクザ達を相手に大立ち回り
ヤクザ達を泣いて土下座させたという話は、ある筋ではかなり
有名な話。
そのほか、シューティングジムにも通っているという。
数々の芸能界最強伝説を持つミスター格闘家なのだ。
ボビーオロゴンをはじめとして、近頃
芸能界のつわもの達が、こぞってK-1などに参戦しているが
このダークホース的な凡ちゃんの存在を皆忘れてはいないだろうか?
あのマッシュルームカットと黒縁メガネの下には
はがねのような屈強な肉体が隠されているに違いない。
武闘派凡ちゃんのK-1デビューを切望する。
多分、曙より強いかもしんない。
そんな凡ちゃんに息子は
もう何十回も遭遇している。
中目黒で。学芸大学で。自由が丘のヤマダ電機で。
東横線沿線のいたるところで。
はじめは、チラ見して、よく睨まれていたようだが
最近は目礼する仲にまで発展したらしい。
急接近である。
今後の二人の進展には目が放せないところだ。
私はかつて、来日したばかりの千葉ロッテマリーンズの監督
ボビーバレンタイン氏に日本語で話しかけられた事がある。
当時、来日したてで、たぶん現在ほど
日本語が達者ではなかったのではないかと思われる。
2003年当時、ボビーに日本語で話しかけられた
一般ピープルは、日本中探してもそんなに多くはいないだろう・・・。
つたない日本語をあやつり
彼がそんなにまでして私に日本語で聞きたかったこととは・・・。
小雪もちらつくほど寒い2月に
ジョギング中、「ボビーバレンタイン氏来る!」の張り紙を見た。
どうやら、ガソリンスタンドに隣接するコンビニに
ボビーがやってきてサイン会を行なうということらしい。
当時バレンタイン監督のモノマネが親子間でちょっとしたブームだったため
ホークスファンでありながら息子と私は
いそいそとサイン会に出かけた。
ジョギングコースでもあったため、いつもどおり
私は短パンノースリーブといういでたちだった。
サイン会は日曜の早朝7時に行なわれた。
なんで、そんな時間に行なわれたのかは今もって謎である。
ボビーのサインを貰うまで
かなり待たされた。寒かった。凍えた。
なにしろ、こちらはノースリーブに短パンだからだ。
ぶるぶる震えながら順番を待つ・・・・。
そんな様子を遠くからボビーは見ていたのだ。
私の順番がきたら、ボビーは
すかさず開口一番
「ジテンシャデスカ?」と聞いてきた。
「ノー!アイム、ランニング」と英語で返したら
「オー!」と言っておどけたような表情をつくり、外人がよくやるような
両手のひらを上に向け肩をすくめると言うベタなしぐさをした。
サインボールを貰う時「優勝目指して頑張って下さい!」と心にも無いことを言うと
ボビーは、「アリガトゴジャイマス」とにっこり笑って握手をしてくれた。
ボビーは私にどんな答えを期待していたのか・・・
せっかく遠くから来てくれているのに
もう少しましな返答はできなかったものか
大いに悔やまれる。
率直に言おう
私の唯一の自慢は、自慢じゃないが
サザエさんの父「波平」の似顔絵を
目をつぶっても描けることだ。
これが目をつぶったまま書いた
「波平」である。
息子が小さい頃は
これでむずがる息子を何度なだめたことか・・・。
幼い息子を喜ばせるために
雨の日などスケッチブックに
ミッキーマウス、ドラえもんから始まり
機関車トーマス、ガチャピンやムックなど
やみくもに描き続けていていたが、どれもうまく行かず
息子の気持を捉えることができなかった。
しかし、試行錯誤を繰りかえし
いろいろなキャラクターに果敢に挑戦し続けて
苦節○年、やっとたどり着いたのが
この「波平」だったのである。ていうか
これしか描けないのである。
「カレーを温めて食べてください」など
外出の際、息子に書き置きを残すとき
必ずこの「波平」を隣りに描き続けていたので
いつしか目をつぶってもかけるようになってしまった。
もはやこの「波平」は、私のアイデンティティとも言える。